もくもく

これは存在証明の煙

これから始まる私達のバカ騒ぎ - (R)evolution#0.5

DOES再始動後初ライブ『(R)evolution#0.5』を視聴した。

毎日観ていたいと思った。

私とDOESのおもいで話

DOESと出会ってもう10年以上経つ。『銀魂』と共に爆発的に流行った『曇天』は毎週のように給食の時間でかけられた。それが私が初めて聴いたDOESの曲だった。小学生の時の話だ。

初めて聴いた新曲は『バクチ・ダンサー』だった。全てが衝撃的で、こんなにカッコイイ曲がこの世に存在するのかと思った。『バクチ・ダンサー』を引っ提げてMステに出た彼らはサイコーにクールで今でも思い出すと誇らしさで胸がいっぱいになって顔がにやける。DOESのような格好良くてすごいバンドならきっと、また近いうちに音楽番組で観られるはずだ。子供だった私はそう信じて疑わなかった。次に地上波で彼らを観たのは一週間前のアニソンバトルだった。ロックバンドが音楽番組に出ることが相当凄いことなんだと知ったのはもっと後になってからだった。

今でもビートを刻むハイハットのイントロを聴くだけで血が騒ぐように興奮する。DOESの曲に格好良いと思う曲は沢山あるのに、この曲を聴いているときは『バクチ・ダンサー』以上に格好良い曲はこの世には存在しないのではないかと思ってしまう。

 

初めて彼らの演奏を生で聴いたのは、運良くチケットを取ることができた『銀魂春祭り2010』の時だ。生で歌っているのに一つもブレない演奏と歌声に純粋に感動した。確かその時初めて『修羅』を聴いてメチャクチャ格好良いなと思った記憶がある。

 

中学生から高校生にかけて、なけなしのお小遣いで少しずつCDをレンタルしてDOESの曲を聴いた。初めて借りた『SINGLES』はずっとリピートして聴いていた。中学の時に出会った銀魂好きでDOES好きの唯一の友達に「DOESで一番好きな曲って何?」と訊かれたときは「赤いサンデー」と答えた。彼女は「サンダーライト」だと言った。

 

高校生の時、ヤスのメインボーカルがどうしても聴きたくて『紅蓮』のCDを買った。初めて買ったDOESのCDだった。

時間的、金銭的余裕がなくてライブには参加できなかったけれど、どうしてもDOESを感じられる“何か”が欲しくて、部活終わりにライブ会場まで足を運んでグッズだけ購入して帰った。漏れ聞こえるライブの音がとても格好良くて、熱くて、その場に居るようで居られなかったことが無性に悔しかった。少しだけ聴こえた『砂嵐』は今でも忘れることができない。

 

DOESの他にその時々で聴いていた音楽は色々あったけれどDOESを忘れることはなかった。年齢を重なるにつれて好きになったものも、好きではなくなったものもあったけれどDOESだけは最古にして最強の、ロックの頂点だった。DOESに変わるバンドなんて一つも存在しなかった。

ある人はDOESを「シンプル」だと言い、ある人は「潔い」と言った。DOESが唯一無二なのは究極まで磨かれた彼らの魂そのものだからなのだ。

 

長かった学生時代が終わると同時にDOESも活動休止に入った。その二年前に好きだったバンドが解散していたから、少しだけ、ほんの少しだけ耐性が付いていたけれど、それでも喪失感は半端じゃなかった。彼らが活動休止をしても音楽は残り続ける。寂しいことなんて一つもないと言い聞かせてもどこか心にぽっかり穴が空いた感じだった。

活動休止の間、それぞれがやりたいことをやれるならばそれが一番だと思いつつも、心の片隅で、いつか帰って来てくれる未来を密かに、それでいて確かに願い続けていた。

(R)evolution#0.5

流れに流れてしまった再始動後一発目のライブは『無観客』『配信ライブ』というかたちが取られた。多くの人が観られるようなかたちを選んでくれたこと、またこの日この時間に集まれない人のことを考えアーカイブ視聴まで可能にしてくれた彼らの心配りには胸を打たれると同時にファン想いな彼らが誇らしくもあった。

再生ボタンを押すと定位置についた彼らの姿が映し出された。これが4月1日が見せる幻ではないのだということがたまらなく嬉しかった。それでもどこか夢みたいに思っていた私をギターの音色が、聴き馴染みのあるイントロが現実に引き戻す。

配信ライブとはいえ本場のライブそのもののように走るテンポ、ぴょんぴょん飛び跳ねるヤスに楽しそうにドラムを叩くケーサク。画面に映る全てのものが私の心を高揚させて、気がつけば画面の前で一人頭を振っていた。

ライブで歌われた17曲は、最初期の曲から最新の曲まで、今までの彼らの道をなぞっていくような選曲だった。それはDOESが変わっていないことの証明であり、また“今のDOESを見て”というメッセージでもあるような気がした。

銀魂』でタイアップしたようなDOESらしい疾走感のあるカッコいい曲から少し抜けたアンニュイな曲も重めなロックまで、今までのDOESの全ての引き出しを開けて“今”のDOESで中身を入れ替えていったような感覚を覚えた。

立て続けに新曲3曲が続けられたり代名詞的な曲が終盤に固められたり、とにかく趣向を凝らしたセットリストにも感動する。特に新曲3曲の並びはまさにCDでリピートした順番そのもので、ライブを聴いているのにCDを聴いているようで興奮したりもした。

この配信ライブは照明もまたカッコよくて、曲の雰囲気にあったライトの色や照らし方がより彼らを盛り上げ、格好良く映し出して向こう側にいる私たちの心を煽った。『道楽心情』ではライトの色がMVの時の色遣いと一緒だったりと芸が細かくスタッフの愛が感じられた。

「驀地に踊れ!」

あっという間に時間は過ぎていき17曲目の冒頭、ワタルさんは感謝の言葉と共に、また一緒になってバカ騒ぎするために「生きていてください」と言った。死なないように、強く、生きろと。心の底からそう私たちに向かって叫んだ。

今までこんなに深く刺さる「生きろ」を私は聞いたことがなかった。正直言って私は積極的に生きたいと思うタイプではなかったし、こんなご時世も重なって自分が生きてるのか死んでるのかよく分からなくなるときもある。何のために生きているのか、生まれてきたのか、ずっと悩んでいるような人間だった。そんな私が「生きろ」という願いにここまで涙を流すことがあるのかと思うほどに心の深いところまで染み渡り、何かが解けるように涙がこぼれた。

生きなきゃ。彼らの姿を見るために、彼らの歌を聴くために、いつか彼らと同じ場所と、時間と、空気を共有するために。驀地に踊る彼らの姿はにじんでよく見えなかったけれどサイコーに格好良かった。

終わりのない歌うたって

サイコーにロックな三三七拍子を終え“全てを持ってかれた”彼らは私たちのほうへ歩いて向かってきた。その姿が最終回でこちらに向かって走ってきた何処かの歌舞伎侍たちと重なった。

彼らは戻ってきた。どんなご時世だろうがどんなライブのかたちだろうが彼らはちゃんと戻ってきた。『道楽心情』は最後を彩る祭りであると同時に、彼らと私たちの新たなスタートを祝う祭りでもあったのだ。

だからいつかまた、一緒になって、ぎゅうぎゅうになって、彼らと会える日まで、終わりのない歌を口ずさみながら今を生きる。そのそばにはDOESの曲を置いて。